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故郷を訪ねて想うこと

   
     演壇に立つ

 六月中旬、梅雨の雨間に、信州の伊那谷を訪れた。伊那谷と言えば、年輩の人たちならば、小畑実がヒットさせた『勘太郎月夜唄』を想起させるに違いない。
 ――影か柳か、勘太郎さんか、伊那は七谷糸引く煙――
 中央アルプスと南アルプスに挟まれた谷間に、諏訪湖を水源とする天竜川が流れる。
 大自然の真っ只中といえば聞こえがいいが、私の生家は人口五千人そこそこの寒村にあった。上伊那郡東春近村である。春の近い東の村という名前ではあったが、東を三千メートル級のアルプスに覆われているため、日の出も遅く、春も遅かった。この村は昭和二十九年に伊那市に合併された。
 母校伊那北高校のPTSの講師に招かれ、四十数年ぶりに、体育館兼講堂の演壇に立つことになった。
 PTSとは、PTAとは違い、生徒(student)も加わった研修会のことである。
 講演の前に校長室に案内された。
 校長の体つき、顔つきを見て、驚いた。四十数年前の在学中に、英語の教鞭を取っていた原盛文先生とウリ二つである。先生は二年前に黄泉の地に旅立っている。
「あれ、青さじゃねえか」
 私の口から思わず土地の言葉が飛び出した。
 これには説明を要する。まず「さ」は、「さん」を親しい間柄で使用する敬称。私の場合はマコトさんとは言わず、「マコさ」と呼ばれる。
 青という字は、原盛文という名前のどの部分にもない。原先生は酒を飲むと青くなったので、生徒たちから青さというニックネームを戴いたのである。
 小豆島を舞台にした『二十四の瞳』は壷井栄の代表作である。女教師が親子二代を教えるのであるが、映画では高峰秀子が若い女教師と老教師を演じ分けた。
 兵隊に取られ、戦地に送り出した教え子たちには、乳飲み子を残して戦地に散った者が多かった。やがて、子供が成長して、老教師の教え子となる。戦地に散った親とどこか似ている。面影が似ているが、仕草がもっと似ている。
 私はこの『二十四の瞳』の女教師の心境になった。あの青さのジュニア(息子)が、目の前にいる。それも校長先生である。
 英語を教えた青さの生まれ変わりは、原幹夫校長先生になっていたのである。
 青さジュニアとは、男同士、ぶっきらぼうな会話しかできなかった。
 男子校(十数名女生徒がいたが)だった母校が、いつの間にか男女共学になっていた。旧制中学から受け継がれている校歌の歌詞が、額に入れられ、校長室の壁面に掲げられている。
「四番の歌詞の頭が雄心強く、振りおこし≠ニいう部分は、男女共学ではマッチしなくなったのではないですか」
 藪から棒の私の言葉に、机から立ちあがった校長先生(青さジュニア)は、首を傾けるような仕草をしながら(これがまた親譲りのもの)、歌詞に一瞥をくれて、無雑作に言った。
「雄心は女生徒が持つ時代になったね。本来は日本男児の心だろうが、いまの時代は大和撫子に取って代わられたんだ。旧制中学からの貴重な校歌に手を入れる必要はないよ」
 そう言えば、この校歌は先輩たちがカンパで金を集め、プロの作詞家、作曲家にお願いして誕生したものである。もう七十数年唄い継がれているのだ。
 校長先生との会話が伏線となったのか、一時間半の講演の最後に、壇上から母校の校歌を唄ってしまった。
 母校は還暦を過ぎた私を、青春時代に引き戻す装置になっている。それは大海で育った鮭が、稚魚時代の川に戻る習性に似ているのかもしれない。

   かんてんぱぱ

  母校での講演の後、同校の後輩になる地元で燃料店を営んでいる小澤陽一君の案内で、「かんてんぱぱ」というブランドで有名な伊那食品工業を訪ねた。
 同社は知る人ぞ知る、伊那谷を代表する超優良企業である。
 寒天の歴史は古く、江戸初期に遡る。一六四七年京都伏見の美濃屋太郎左衛門が、テングサの煮汁を鍋ごと寒中の屋外に置き去りにしていたところ、何日か後に乾燥して繊維質の板状になっていた。これを煮戻すと、ところてんになった。これを隠元禅師が「寒天」と命名したと言われる。隠元禅師は中国からインゲン豆を持ち帰ったことでも知られている。
 海藻のテングサを原料とする寒天が、何故信州で作られるようになったのか。それは、工場生産になるまで寒天(寒空)の下の露地で、凍結・乾燥していたからだ。テングサを煮詰めてところてん状にするための豊富な天然水、清澄な空気、乾燥した氷点下十度以下の冷気など、寒天づくりに必要な条件を完璧に備えていたのが、信州の諏訪・伊那地方だった。寒天づくりと同じ条件を必要としたものに、高野豆腐がある。地元信州では凍(し)み豆腐とも呼ばれている。
 伊那食品工業の本社及びハイテク主力工場は、中央アルプスの山麓にある。松林を切り拓いて建設された広大な敷地の中に点在する建物は、自然と人間とのハーモニーを奏でている。春夏秋冬の草木の花が、同社を訪れる人たちを歓迎している。
 当日案内をしてくれたのは、同社取締役経営企画室長の丸山勝治さん。
「塚越社長の経営理念を忠実に具体化したものが、当社の立地条件にも生かされているのです」
 サツキの花が咲き乱れ、小鳥がさえずる敷地内には、本社社屋のほかに、北丘工場、レストラン「ひまわり亭」「さつき亭」、輸入グッズショップ「サン・フローラ」「かんてんぱぱホール」などが、松林の高さを越えないように佇んでいる。
「かんてんぱぱホール」には、山岳写真家青野恭典アートギャラリーがあり、伊那谷の四季のカラー写真が展示されていた。どの写真にも、自然を愛する青野さんの情熱とロマンがほとばしるように溢れていて、元カメラマンの私を圧倒した。
 自然の中に会社施設を置き、市民とのコミュニティ・プラザにもなっている風景は、アメリカニュージャージー州の、ハドソン川沿岸を思い起こさせられた。
 同社は、日本緑化センター会長賞をはじめ、科学技術長官賞、農林水産大臣賞、日経ニューオフィス推進賞などを受賞。先進の技術と企業環境に対する貢献を評価されている。
 たかが寒天、されど寒天。いまや和菓子材料から医薬品、細菌増殖実験材料にも応用範囲を広げているのだ。年商百億円を超える二十一世紀型企業が、わが故郷にあるのだ。
 塚越社長が、母校のOBであることを誇りに思い、天下に言いふらしたいのである。
 


イラスト:
かわかみゆういち
 
月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点