美しいローカルの町を訪ねて |
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即興講演 秋の文化祭講演会に招かれ、四国のある町を訪ねた。昨年三月から三回に分けて、還暦お遍路を敢行。満願成就を達成し、四国には親しみを感じるようになっていた。 今回の講演は、作家藤田健二氏の手引きによるものである。彼の故郷である香川県高瀬町教育委員会生涯教育課主催の文化講演会に、藤田氏と共に講師として招かれた。 当日、前川和昭町長自ら高松空港に出迎えて下さった。気さくで肌の温もりを感じさせる町長は、途中で讃岐うどんをご馳走してくれた。醤油うどんだ。 大根おろしをかけて、冷やしうどんを生醤油で食べるのだ。大根おろしは各自がおろすセルフ方式だ。おろし板と大根が各自に配られる。一人分が一本の半分。おろし板は先のほうに窪みがあり、おろしが溜まるようになっている。各自がテーブルを囲み、ゴシゴシおろす。 「おろし板をテーブルに置いた方がやりやすいですよ」 町長さんからアドバイスを受けながら、半分の大根をおろすが、とても全部おろし切れない。途中でギブアップした。 腰の強い讃岐うどんに、たっぷりの大根おろし。これに生醤油をぶっかけるだけというシンプルな料理だが、実に美味い。生醤油と大根おろしが、うどんの生地を殺さず、天下一品の讃岐うどんを堪能できた。 こんな極上の一品は、効率一辺倒のコンビニやファーストフードでは、金輪際味わえまい。 高速道を使用せず、地方道を走り継いで高瀬町役場に着いた。玄関に小生の顔写真入りの立て看板が立っていて驚いた。 しかし、私がもっと驚いたのは、玄関を入った直後である。 白地の身の丈ぐらいある看板に、「役場は皆様のお家(うち)です――温かい心と活気のある町 高瀬町―」と書かれていたのだ。 このスローガンの下で、前川町長は人口一万七千人の父親の役割を果たしているのだ、と感じ入ってしまった。 「二十一世紀を豊かに生きる」 私の講演のテーマは、大仕掛けなものだった。物質文明の限界、デフレ経済の行方、不透明な未来、グローバルからローカルへ、スローフーズの時代などを散りばめて話そうとしたが、玄関の看板を見て、大袈裟な話しは却って町民に失礼だと思った。 事前に用意したレジュメを捨て、即興で話を進めた。自分の生い立ち、ふるさと信州の少年時代のこと、社会人となって海外に出歩いた話。そして還暦を過ぎて、故郷信州・伊那谷に目が向いて行く過程。それは鮭が故郷の川から大海原を目指し、回遊して、再び故郷の川に戻る心境にも似ていると――。 最後に、こう締めくくった。 ――高瀬町は弥生時代から高瀬川を中心に育まれた歴史と文化を持っています。高瀬川は京都の運河の方が有名です。しかし高瀬町に住む人たちは、京都の人工的な川よりも、ここの高瀬川の方が、愛着があるはずです。それが郷土愛の始まりです。郷土愛なくして日本を愛する心は生まれません。祖国愛なくして海外に雄飛しても、単なる国際根無し草になるだけです。豊かに暮らす心の始まりは、生まれた家と故郷を忘れないことなのではないでしょうか―― 高瀬の老若男女は、私の拙い話を真剣に聴いてくれた。講演直後に中学生数人が演壇に駆け寄ってきた。 「ほんとうのことを言ってくれて、有難う」 次々に手を差し出して握手を求められた。少年たちが去った後、カメラを持った中年・老女に取り囲まれた私は、しばらく至福の時を過ごさせてもらった。 金刀比羅宮 翌日、藤田氏の兄夫妻に讃岐の高瀬界隈をクルマで案内してもらった。 讃岐も他の四国三県と同様、灌漑用の溜池が多い。高瀬町で公認されているものだけでも、約千五百もある。讃岐には弘法大師と馴染みの深い満濃池がある。八世紀初めに築造され、空海によって改修された。貯水量(満水時)一五四〇万`uは、わが国最大の溜池である。 私の希望で高瀬町の隣町琴平町にある金刀比羅(金毘羅とも書く)宮に案内してもらった。全国に信者を持つ金刀比羅さんは、音読すれば「こんとうひら」となり、そこから地名が琴平になった。諸説ある中で、サンスクリット語のクンビーラ(カンタービラとも言う)がなまってコンピラになったという説がある。海の神として祀られ、崇拝されてきたため、漁業、漁師、海運、造船、港湾事業などに携わる人々の信仰が篤い。 本宮までに七百数十段、奥宮までに千三百段以上を超える石段がある。老人のために石段専用の籠かきが待機していた。東のお伊勢さん(伊勢神宮)、西の金刀比羅さんといわれるだけあって、門前町にも伝統と風格を感じさせるものがあった。 金刀比羅宮のある琴平山には、もう一つ必見の国指定重要文化財がある。 金毘羅大芝居である。この劇場小屋は天保六年(一八三五)に建築されたもので、わが国最古の劇場である。昭和四六年に国の重要文化財に指定された折り、防災上の観点から表参道脇にあったものを四年の歳月をかけて分解、修復して現在地に移築した。 舞台(人力による回り舞台、せり舞台)の下は石垣による地下室があり、奈落において人力で舞台を回したり、せりを上げ下げする装置が天保六年に造られたままの状態に保存されている。現在も松竹が興行を継続している。もう来年四月の入場券が売られている。 私のような年齢になると、コンピューター設計の最新の建造物よりも、職人芸による手づくりのものに圧倒的に愛着を感じる。 近世から演劇の主流となった歌舞伎は、京都に始まり、江戸、大阪にも花開いた。その先に金毘羅大芝居があり、金刀比羅信仰と共に、四国はおろか西日本への劇場文化の発信源になってきたのである。 人口一万人そこそこの琴平町に、日本を代表する地方文化がある。政府は地方自治体の合併を促進させているが、自立できる市町村から自治の権限を奪うことはやめてもらいたい。 琴平を後にして、観音寺市にある有明浜に連れて行ってもらった。寛永十年(一六三三)将軍家光公から讃岐に遣使を出すという知らせを受けた丸亀藩主生駒高俊公が、地元の古老と相談して、寛永通寶という巨大な砂文字を作り上げた。それを現代まで受け継いで、毎年砂文字を修復しているのだという。 地方には地方の文化がある。 地方文化を潰すようなグローバル化を制御するには、地域住民の見識が問われる。 日本再発見の旅を今後も続けたい。 |
イラスト: かわかみゆういち |
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月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点 |
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