農的ライフスタイルのすすめ |
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| 歯車の一つ 現代人は社会の一員、つまり歯車の一つになって生きている。日本で最も大きな歯車は政府になる。その日本政府の歯車だって、国際社会のとてつもない巨大な歯車によって回されているのだ。 国際的巨大な歯車には、国連やWTO、IMFなどがある。しかし、日本に最も影響力のある強力歯車はアメリカかもしれない。 戦後憲法からイラク戦争支持まで、日本政府はアメリカから歯車ならぬ頚木(くびき)を掛けられ、もがき苦しみながら、重い荷車を引いているかのようだ。 そんな中で、一般国民はどのように生きてきたのだろうか。大中小の企業の歯車か、その他の団体の歯車に属して、日常業務という目前の仕事をこなしてきたはずである。なるべく自らの意志を出さず、組織の小さな歯車に徹し、歯車が欠けないことだけに専念してきたはずだ。 バブル崩壊までは、それで無難に過ごすことが可能だった。無難に過ごすことこそ、最良の選択であり、美徳にさえなった。待遇も右肩上がりを約束されていた。 いま、事態は一変した。 日本システムが崩壊し、アメリカシステムがグローバリズムの名の下に吹き荒れている。歯車の一員として役割を果たしていたサラリーマンや中小零細企業経営者は、成果主義の名の下に、噛んでいた歯車を外され、「自力で回れ」と放逐されてしまった。 リストラされたサラリーマンは、次の職場がなかなか見つからない。失業率は最悪の五・六%。年間三万人を超える自殺者のうち、その一割が中小企業経営者やサラリーマンである。 有史以来、日本共同体の一員で過ごしてきた日本人は、組織の内外で自立(律)を求められている。明治維新によって、「士」の身分を失った武士たちに似ている。屯田兵になって北海道に渡ったり、最後まで明治政府と闘った会津藩士のように、死を承知で闘い抜くか、根本から生き方を変えなくてはならない。 武士の身分を捨て、商売を始めた者は、武家の商法≠ニ揶揄され、江戸時代最下位の身分だった商人たちにからかわれた。 現在おかれている日本の状態が、明治維新以来の激変期と言われる由縁である。中途半端な構造改革では、国も企業もニッチもサッチもいかない状態だ。国や大企業は、国際競争力維持のため、否応なしにグローバル・システムを受け入れようとしている。 しかし、生身の日本人のDNAは、グローバリズムを操るWASP(英米の白人プロテスタント)のDNAに違和感を覚える。神仏に頼ろうにも、自分の中に八百万の神もお釈迦様も存在しない。一度拝金主義を目指した者は、信仰の世界には戻れないからだ。 結局は自立するしかないのである。自分の世界に自己完結部分を持つことである。いまから仙人のような生活は不可能だ。シンプル・ライフを目指すしかない。手アカのついた物質中心の生活から、信念や思想を持った生活に改めるべきだ。別の表現を借りれば、都市生活からの離脱である。あるいは接待ゴルフをやめて、釣り人になったり、野道を歩くことである。 釣り人になるのも、カントリー・ウォーカーになるのも、基本的に自分一人で出来る。シンプルな生活者になるには、自然や大地を相手にする部分を取り入れることが必須である。そうする過程が、そのまま人間性の回復につながる。 週末だけでも、生産あるいは消費のメカニズムの歯車から抜け出してみれば、社会も自分も真の姿が見えてくるはずだ。 農的幸福論 終身雇用と年金制度が崩壊する将来を見据えて、田舎へのUターン組が増えているという。欧米のビジネスマンの多くは、リタイア後カントリー・ライフに入る者が多い。日本もその走り(先駆け)が見られるようになった。わが国初の宇宙飛行士となった秋山豊寛は、TBSの記者から部長職になった途端、福島県の山里に入り、農人暮らしを始めた。田畑でコメや野菜を作っているだけでなく、しいたけ栽培によって、換金生産まで行っている。 昨年亡くなった藤本敏夫は、千葉に鴨川自然王国を創り、二十年以上も農的生活を送った。藤本敏夫は学生時代全学連委員長を務め、国際反戦デーの防衛庁突入事件で逮捕された闘士だった。獄中で歌手加藤登紀子と結婚し、出獄後に自然派に転向した。 彼の死後、『農的幸福論』に遺言がまとめられている。加藤登紀子と結婚して死に至るまでの三十年間、終始一貫して農的生活を奨励し、実践してきた。資源の大量消費、環境への負荷拡大に警鐘を鳴らし続けて生涯を終えた。 女優の高木美穂は、都市生活で自律神経失調症になり、那須高原に農地を借りて、休日を農的な暮らしに変えた。 知人の編集者は、退職後NPO「メダカの学校」の理事になって、全国にメダカの棲める不耕起米作の普及に努めている。 私の四人兄弟は、一人の跡取りが兼業農家を継ぎ、定年後専業農家に転じた。他の三人も家庭菜園で野菜の自給自足を達成し、首都圏に暮らしている。 農的暮らしというのは、農家とは似ていて非なるものである。専業農家から見れば、趣味の世界であり、遊んでいるようなものである。好きなことを勝手にやっていると言われればその通りだが、家庭菜園はまぎれもなく自己完結型である。与えられた娯楽施設での余暇の過ごし方とは違う。 自己完結型の汗水は、心地よい疲れを与えてくれ、ストレスをも解放してくれる。その結果、心身が癒されるのだ。その舞台が自然の大地であれば、生命の成り立ちからも、DNAまでがリフレッシュされるのは当然である。 私は近代文明を否定しない。未来文明にも希望を持つ。ただ、自然との調和を無視した文明は、一時は栄えても必ず滅亡すると信ずる。病気に強い遺伝子組み替え作物やクローン家畜に違和感を覚える人も多いだろう。歪められた作物を食べなくては生きていけないとすれば、人類文明の勝利≠ネどとは言えないはずだ。 人類が万物の霊長であったとしても、自らの生命や地球の生命を、人間本位に変えることは許されない。それは奢りであり、地球への冒涜行為である。 自己完結型を、仕事からも生活からも捨て去った人類は、さまよえる群衆になろうとしている。パソコンとコンビニで幸せな人生は送れない。コンピューター制御で時間通りにエサと水を与えられる、バタリーのニワトリよりも、地鶏の生涯を私は選ぶ。 |
イラスト: かわかみゆういち |
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月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点 |
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