お遍路と文明社会の是非 |
|||
同行二人 三月下旬の一週間、四国のお遍路に出掛けた。「お遍路」とは、単純にお寺を巡ることだと思っている方が多いのではないだろうか? 日本には古くから、巡礼というものがある。別名観音巡りとか、札所巡りともいうが、庶民信仰の観音(観世音菩薩)を本尊とする古寺を巡り、願い事をしたり、身を浄める行為である。 現在では、観音だけにとらわれず、それ以外の大日如来、薬師如来、釈迦如来、不動明王など、さまざまな本尊を巡る聖地巡拝行為を総称して巡礼と言っているようだ。 わが国の巡礼・霊場(聖地)巡りのベスト4は、四国八十八ヶ所、西国三十三観音、坂東三十三観音、秩父三十四観音である。秩父が一ヵ所多いのは、合計百ヶ所になるようにしたという説が有力だ。四国を入れて百八十八ヶ所巡りをするのが、巡礼者の生涯の念願であり、理想だとも言われている。 中でもお遍路と呼ばれるのは、四国八十八ヶ所巡りだけに与えられている別称である。弘法大師(空海)の修行の地であり、開基としては、空海より前時代の高僧行基のものもある。行基やその他の者の開基であっても、空海が訪れた聖地になっていない所は、八十八ヶ所に含まれない。 したがって、お遍路は弘法大師の聖地巡りという定義が成り立つ。正装の菅笠、白衣、頭陀袋、金剛杖などには、必ず同行二人≠ニ墨書きされている。二人で歩くという意味ではなく、一人でも、いつも弘法大師と行(ぎょう)を共にしているという意味である。 今回、三年前に一部上場企業の外資との軋轢によって、不如意な退任を余儀なくされた斑目力曠さんと、その後輩で讃岐で等利寺の住職玉久文澄さんの三人で回ることになった。 斑目力曠さんは真言宗総本山高野山の出身であり、京都大覚寺の権中僧正である。玉久さんは大覚寺での八年後輩になり、真言宗大覚寺派等利寺を任されている。 二人の現役、元僧正に挟まれて、お遍路を始めたのであるが、私はもともと、日本人の心のふるさとを訪ねるのは、大好きである。四十二歳の厄年のときには、坂東三十三ヶ所の巡礼を行ったこともある。今回は、斑目さんに誘われたのであるが、還暦お遍路として、二つ返事で同行させてもらった。 一番の霊山寺は、発願の寺である。私たちは八十八ヶ所に加えて、別格二十霊場も回ることにした。阿波路から土佐路に入り、今回は八十八ヶ所の三十六ヶ寺と、別格四ヶ寺の合計四十ヶ寺を巡拝した。 三月、四月の春と、十月、十一月の秋が、お遍路に最も適した季節である。老若を問わず善男善女が、どこの境内にも溢れていた。遍路道や霊場には、菜の花、こぶし、桜の花が咲き乱れていた。 日常生活では、都会のコンクリートジャングルの中で、便利な文明の利器を当たり前に使用して、それなりの満足を味わっている。別名曼荼羅といわれる四国の遍路道は、本来人間のあるべき姿を映す、姿見の鏡のように思えた。 約千二百年前に開かれた遍路道は途中で絶えることなく、現代まで受け継がれているのは、一種の驚きであり、奇跡でもある。それにしても、懐深い深山や台風銀座の海辺に聖地を求めた弘法大師は、どんな心境で生涯を全うしたのか、凡人には窺い知れない。 人間の原点 お遍路では、老若男女と行き交う。 最年少は、若い母親に手を引かれた一歳七ヶ月の男児がいた。初めは、どこで会っても泣いていた。 「イヤだ、イヤだ、おうちに帰るうーー」 三日目頃になると、遍路道、長い階段の上り、境内でも、あどけない表情で、一所懸命の姿に接した。巡礼者の人気者になっていた。 「坊や、頑張れよ。坊や偉いぞ。いいぞ」 私たち三人も、頭をなでたり、声を掛けて励ました。 坊やを見ていると、モノ書きの端くれとして、想像力が働いてしまう。坊やのグループは、三十歳前の母親と、その母親と見られる三人だけである。二人の母親は、母子家庭かも知れぬ。坊やの父親は不治の病か、不慮の事故で、幼子を残して他界したのかもしれない。というのも、坊やの母親は、どこで見かけても厳しい表情をし、何かに取り憑かれているような気がしたからだ。何かの事情で、一粒種の幼子を女手一つで育てることになったのかもしれない。坊やの幸せを八十八ヶ寺にお願いしているのだとしたら、心痛む光景である。 外国人も、ちらほらと散見した。スリランカから来たという三十代の男性は、祈りが真剣かつ丁寧で、ヒゲだらけの表情が、まるで山伏の修行者のように見えた。 もくれんの 香り漂う 土佐の道 茶髪の遍路 一人旅する これは、同行の斑目さんが詠んだ一句である。一人旅をするお遍路さんは、三十歳前後に見えた。渋谷などで茶髪の若い男女が、歩道などにベタ座りしているのを見ると、心中密かに「バカ野郎め」と呟くのだが、土佐路の茶髪は、凛々しかった。リュックの上に、寝袋と思われる丸く巻いた物をくくりつけ、野宿も辞さずの決意が読み取れた。私が覚えたばかりの般若心経の一節「色即是空、空即是色」を唱えると、斑目さんが反応した。 「姿形だけでは、中身が判らないねえ」 「頑張れよ」 と、三人が異口同音に励ました。 過剰なほど便利になった文明社会では、他人は何する人ぞ≠フ精神で生きているのが大半である。親孝行や長幼の序列、一寸の虫にも五分の魂などは、死語になっている。千二百年も前に四国の善通寺に生まれた空海は、人々が幸せに暮らし、飢えないようにと、先輩行基を見習って、治水や橋をかけ、安国を願った。米作の豊穣を叶えるため、八十八ヶ所の聖地を回ったとも伝えられる。八十八は米(米寿)を表すというのだ。 たまには、現代生活から離れて、しがらみの日常を断つのも悪くない。人間は所詮、地球上の小さな存在でしかない。蟻やゴキブリなどと横一線の存在なのである。 遍路道に咲く、名もない雑草の花や、深山の木漏れ日の陽光を一身に受けて成長する蕗のとうなどを見ると、いとおしい気持ちになる。 清流のせせらぎ、湧水、滝を見て、「いいなあ」と、素直な感動を覚える。 今回は四十ヶ寺で区切り、打ち止めにしたが、次回は真夏の七月下旬に回る。 最後は十一月に、結願を果たして、高野山にお礼参りに行くのだが、今から待ち遠しい。 |
イラスト: かわかみゆういち |
||
月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点 |
|||