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大和魂とは武士道と見つけたり
   
   李登輝の叫び

 台湾前総統李登輝の『「武士道」解題』を読んだ。
 明治維新から百三十五年。いま何故、「武士道」なのか訝る向きもあるかと思う。しかし、今こそ「武士道」を叫ぶときなのだ。
「武士道」は武家社会の掟や、武士の生き方を規範するものではない。ひと言でいえば、葉隠れ精神≠ノ見られるように、身分の高い者は、自らを律し、義務を負わなければならない――という理念である。大和魂もこの範疇に入る。
 同じ意味で「ノーブレス・オブリージュ」がある。発祥の地はフランスの貴族社会だ。この場合の身分の高い者は貴族を指す。従って直訳すれば、身分の高い者は、それだけ大きな義務が付加されるという意味だ。
「武士道」と「ノーブレス・オブリージュ」は、身分の高い者(リーダー的存在)ほど、そうでない人たちに義務を負ったという社会規範なのである。
 翻って現代社会はどうか。見る影もない。
 元日本人(植民地下の台湾で日本教育を施されたという意味)の李登輝が痛烈に指摘するほど、惨憺たる状態である。
 李は現役を退いたといえども、政界に隠然たる影響力を持っている。また、京都大学、台湾大学、米国ではアイオワ州立大学、コーネル大学で、一貫して農業経済学を学んだ。
 青春時代は「生と死」に悩み、哲学書、宗教書などを貪り読んでいる。読破した書物は東西を問わず、プラトン、ソクラテスから、カーライル、ニーチェ、カント、マルクスまでに及ぶ。仏教書、聖書、儒教までも読みこなし、近代の哲学・思想家では鈴木大拙、西田幾多郎、内村鑑三らに遭遇する。
 西田幾多郎の『善の研究』『自覚に於ける直観と反省』に心酔し、倉田百三の『出家とその弟子』『愛と認識の出発』、阿部次郎の『三太郎日記』、夏目漱石の『三四郎』、和辻哲郎の『風士』『臨済録』などと続き、新渡戸稲造に辿り着いたのだ。
 新渡戸稲造が『武士道・日本の魂』(BUSHIDO、The Soul of Japan)を英文で出版したのは、一九〇〇年(明治三十三年)のことである。近代国家への拍車がかかり、日清戦争から日露戦争へ向かい始めた時代である。
 何故こうまで執拗に李登輝の読書遍歴をあげつらうのか。
 現代人のリーダーたちが、果たして李と同等の教養と思想を身に付けて、大所・高所の理念、大局観、小局観の視点からリーダーシップを発揮しているか、非常に疑問だからだ。
 平成の歴代首相たちは、一部を除き大半が、李には到底及ばない浅薄なリーダーだったと思えて仕方がない。
 現代日本の政治家には、思想・哲学を持った者が不在である。縦横斜めから検討しても、李の足下にも及ばない。ポリティシャンばかりで、ステーツマンが皆無の状態である。
 李登輝が戦後歩んだ道は、スペイン、ポルトガル、清国、日本に支配されてきた台湾自立の過程だった。日本では日中国交が回復されるまでは、台湾の蒋介石が褒めそやされてきたが、実態はまるで違う。中国大陸で毛沢東に敗れた蒋介石は、海を渡り台湾に上陸した。台湾人を虐待し、逆らうものたちを大量虐殺している。世界最長四十年間も戒厳令を敷き、蒋王国を築こうとしたのである。
 台湾を自立させ、中国大陸より一歩先を行く民主国家にした李は、ほんとうの意味での台湾の父である。

  武士道はどこへ

 李登輝が新渡戸の『武士道』の虜になったのには幾つかの理由がある。英語で書かれたこと、新渡戸が李登輝同様、クリスチャンであったことが挙げられるだろう。更に、東西の多くの書物を読んでいたため、偏狭な民族主義者でなく、教養と見識に裏打ちされた公平、普遍の表現が共感を呼んだのである。「武士道」は、李のみならず世界中で読まれ、近世日本の入門書になった。
 いまから百年以上も前に、東西の歴史、文化、宗教、哲学に精通していたことに驚きを禁じ得ない。当時の米国大統領セオドア・ルーズベルトは、発行と同時に一夜で読破。あまりの感動に数十冊をまとめ買いして、世界中の要人に「一読をすすめる」と配布したそうである。「武士道」が世界共通のノーブレス・オブリージュの日本版だったことに白人社会も驚嘆し、畏敬の念を抱いたのだ。
 幕末の盛岡藩で勘定奉行の子として生まれた新渡戸は、クラーク博士が教えた札幌農学校二期生を卒業した。更に東大に学んだ後、クラーク博士が戻ったジョンズ・ホプキンズ大学に留学した。彼の向学心は果てることがなく、その後ドイツに留学。ボン、ベルリン、ハレの三大学で農政学、農業経済学を修めた。
 李が新渡戸に心酔したのは、思想家、教育者である上に、一貫して農業経済を学んでいた新渡戸の足跡を自分に重ねたからにほかならない。台湾の自立は、まず第一次産業、とりわけ農業の振興なくして成立しないことを李は熟知していたのである。
 二人の共通点は、人生に対する悩みを、生き抜く勇気に変えた、青春時代の大量の読書である。それを実践に移す段階で、東洋と西洋の価値観に共鳴し、自分の滋養にした。クリスチャンでありながら東洋の価値観を捨てず、逆に日本人、台湾人のアイデンティティを高めていった。即ち、本物の国際人になったのである。そのまま地球の公人になったのだ。
 信・義・仁に裏づけられた「武士道」の精神が、私欲を制して公義(ソーシャル・ジャスティス)の道を歩ませたのであった。
 最後に、現存する指導者で最も日本人らしい李登輝が、全身全霊を込めて、現代日本人(とりわけ指導者)に警告する部分を紹介する。
 ――残念なことには、一九四五年(昭和二十年)以降の日本においては、そのような「大和魂」や「武士道」といった、日本・日本人特有の指導理念や道徳規範が、根底から否定され、足蹴にされつづけたのです。(中略)
 いま日本を震撼させている学校の荒廃や少年非行、凶悪犯罪の横行、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁、失業率の増大、少子化など、これからの国家の存亡にかかわりかねないさまざまなネガティブ現象も、「過去を否定する」日本人の自虐価値観と決して無縁ではない、と私は憂慮しています。そして、この傾向をこのまま放置しておけば、日本だけでなく世界全体が不幸になる、と心の底から危惧しているのです――。
 ステーツマンならぬポリティシャン、省役に明け暮れる高級官僚、それを後押しする族議員、金融腐蝕で責任を取れないバンカー、それに教育の荒廃を招いた教育者etcetc......。
 筆者を含む全日本人よ、原点回帰のために「武士道」再興を始めようではないか。
(文中敬称略)
 


イラスト:
かわかみゆういち
 
月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点