農業小国ニッポンの課題 |
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なぜ農業小国か 今年は十年ぶりのコメ不作となった。厳しい不作に見舞われたのは、北海道、青森、岩手、宮城の四道県である。原因は今夏の日照不足と低温だった。とくに三陸三県は山背(やませ)と呼ばれる、夏にオホーツク海の高気圧が張り出したままの時に吹く、北東からの冷風が稲に悪影響を与えた。 稲の品種改良は目を見張るものがある。「秋田こまち」や、新潟をはじめ各地で作られる「こしひかり」など、味ばかりでなく耐病性にも優れた品種が登場して久しい。 しかし、稲はもともと熱帯植物である。低温に強い品種改良が行われ、明治以降、北海道でも稲作が可能になったが、開花時に最低気温が二十度以上の気象条件でないと収穫は上がらない。 日本人はコメ文化の中で生きてきた。縄文時代から江戸時代まで、日本人口は米穀生産の総量によって、定められてきたのだ。 コメは日本人の主食であり、生命維持の基本食でもあった。 いつから日本人はコメ至上主義を放棄したのか。高度成長が始まった昭和三十年代末期からである。コメ消費量のピークは昭和三十七年である。以降減り続けることはあっても、増加に転ずることはなかった。この十年間でも八%も減っている。現在、ピーク時の約半分の消費量しかない状態だ。 コメの消費量が減ったのには、二つの理由がある。一つは農業政策の失敗である。アメリカ進駐軍の置き土産は「憲法」ばかりではない。「農地解放」は、戦前までの地主と小作人の関係を破壊させた。一部の大地主が小作人を支配する中世的制度を解放したのである。当然ながら筆者を含む小作人は大喜びだった。 インド、インドネシア、フィリピンなどは今でも大地主の下に小作人を置き、小作人はいつまでも貧困から脱却できないでいる。 小作人にただ同然の価格で払い下げられた土地は、こま切れの土地と小農家を大量に発生させた。その結果、大農地による大農法が不可能になり、非効率極まりない農業を大量に発生させた。 その上、政府一括買いの食管制度が、農地の効率化、多機能化を奪った。その上、昭和三十六年制定の旧農業基本法は、農地の売買を促進したが、農地の集約化に寄与しなかった。都市化の波にもまれ、宅地化を促進しただけに留まった。 農地の集約化どころか、都市近郊の離農家の多くは、宅地化の旨みを知り、農業に励むより、宅地化の波を待ち続け、高値で売り抜けた。 もう一つ、各自治体にある農地委員会が、農地の売買を規制し続けた。これも農基法に定められた制度である。農地の転売に当事者の間に入り、用途制限や農業以外への流出を制限した。例えば外食産業や商社などは、現在でも直接的に農地を入手できない。農業法人を設立する場合、二十五%(一企業では十%)を超えない出資率に制限されている。つまり、株式会社による高効率の農業を不可能にして、非効率の小規模農家を保護しているのである。 これでは、コメばかりか農産物の国際競争力は覚束ない。今年のコメ不作にも、政府は第三者機関を通じて、補償金を補給する。補償金即ち税金である。金融を除く(一部の一般企業、ダイエーなどを除く)一般産業では、このような手厚い保護はない。食糧生産は安全と安定供給が生命線という論理である。 ならば、食糧の自給率三十七%は、どう説明するのだろうか。JAの地方幹部はこう囁く。 「工業製品で外貨を稼ぐため、主にアメリカから食糧輸入を押しつけられてきたのです。主食のコメも聖域を外されたばかりか、中国産のネギやイグサが民間取引きで輸入されたとき、日本政府が制裁を加えましたね。中国はそのお返しに高級乗用車と電子製品に三倍の関税を掛けてきました。日本の農業は内外共に競争力がない、哀れな存在なのです」 農業立国を目指せ 農地は農業のためだけにあるのではない。国土を形成する山地と都市部の中間的な位置にある耕地は、山を守り、都市を守る緩衝地帯になっているのだ。河川の水を田園に引き込むことによって、都市部への急流を防ぐと同時に、都市が吐き出す二酸化炭素の吸収帯にもなっている。 日本人に外国産より安全で、かつ美味な食糧を安定供給するために、日本の耕地は未来永劫に残さなくてはならない。その上、美しい日本の原風景である山地に近い里山は、防災上も、水資源上も、環境保護上も、必要不可欠な地域である。 しかし、棚田や段々畑で働く、非効率な農業従事者にとっては、この上ない労苦を強いられている。現在、こうした地域で働く人たちは七十代に入っている。息子や娘たちは都市生活者になり、里山に帰って来ない。 荒れ放題になった棚田は全国にゴマンとある。一枚田オーナーになり、NPO的トラストで支えられている地域は、全国ではほんの僅かである。 筆者はこの夏、千葉・鴨川の里山地域を訪ねた。ある民間警備会社のオーナーが所有する六ヘクタールの自然の王国は、まさに里山の風景の中にあった。 高齢になった農業従事者が、全国でどんどん離農していく。それを引き継ぐ者は皆無に等しい。このオーナーは、更に原野化した棚田を含む里山を五ヘクタール買収すると意気込んでいる。 クボタかイゼキ、ヤンマーに乗って、農地を耕す大農家は、何とか後継者に家業として引き継ぐことができる。それとて、国内産の農産物の利用者が先細りするようでは、先行きが危ぶまれる。 高度成長期以降、日本人は一貫して食事の洋風化の道を歩んできた。朝食が伝統の米飯、ミソ汁、メザシなどから、トーストとコーヒー、ハムエッグなどに変わっていった。 しかし、バブル崩壊後の若者たちは、和食嗜好に変化してきている。コンビニという若者向きの店頭でさえ、弁当、おにぎりが一番売れている。また、夜はお袋の味を提供する和風居酒屋が全盛の時代でもある。 現代の若者は和食が嫌いではなく、幼少過程で共働きの母親が、簡便な洋食をレンジでチンして子供たちに与えていたのだ。その結果洋食の舌に慣らされたが、彼らのDNAまでは替えられなかった。 同様に北朝鮮による拉致事件以後、若者たちの方が、国家主権を真剣に考えるようになってきた。若者の農業への就農も見られ、産直、有機栽培、農業法人設立に新しい動きを見せてきている。若者の方が、健全な思考回路を持っているのだ。 折りしも、外資の巨大ハンバーガーチェーン本部が、リストラを発表した。 最後に、篠沢秀夫先生のキャッチフレーズを借用する。 大丈夫だぞ、日本人! |
イラスト: かわかみゆういち |
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月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点 |
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