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未知の日本は広大である
   
     日本は広い

  前号では四国のお遍路を書いた。今回、ゴールデン・ウィークの前半、栃木・福島を訪ねた。
 先導師は、当欄にも以前登場した、百万年以上前の地層に眠る「亜炭」から家畜の飼料、田畑の土壌改良材を開発した汲アとぶきの和田義雄社長。同行者は私の外に、JA全農栃木(以下略)畜産部長飯島一昌さんと、栃木くみあい且迫ソ次長の関谷誠さんだ。
 四人が落ち合った場所は、JA栃木が全国に誇る矢板家畜市場である。栃木県畜産振興課とJA栃木は、肉牛肥育と和牛仔牛食肉加工の振興に力を入れている。県下の和牛繁殖農家から集められる仔牛を、自動計量し、コンピュータ・システムでオークションにかけることができる。仔牛をセリ落とす買参人たちは、親牛(雌雄)の血統をはじめ、体形、体重、毛づやなどを瞬時に読み取り、端末のボタンを押す。最高値をつけた者がセリ落とすのだが、その際プロ同士の駆け引きが、静かな火花を散らす。
 続いて真岡市にあるJA栃木肉用牛実験牧場を見学した。この施設は飼料給与試験を行う大きな牛舎だった。今年四月に約一億円の予算をかけて完成したそうである。ここで育てられるのは、F1(交雑種)と呼ばれる肉牛(乳牛の胎内に和牛の精液を注入して出来た牛、乳牛と和牛のハーフ)である。このF1を、乾し草と配合飼料で肥育(ひいく)するもので、主に北海道から仔牛を取り寄せ、当牧場で約二十ヶ月後に出荷する。JA栃木畜産部では、栃木県内はもとより、沖縄宮古島他北海道まで和牛仔牛を守るための講師を派遣し、全国的にその名を轟かせている。
 東北自動車道を西那須野塩原ICで下り、国道四〇〇号線を西に走ると、十五分ほどで塩原温泉街に入る。新緑が目に沁みる。首都圏より一ヶ月遅い桜が満開の上塩原を右折する。この道路は日塩もみじラインと名付けられている。川治・鬼怒川温泉郷の方へは下りず、途中を左折したところに栃木県の鶏頂(けいちょう)高原牧場がある。運営をJA栃木畜産部が担当している。
 ここが日本で唯一の、和牛繁殖雌牛のリハビリ牧場である。約四五fの牧場には、不妊牛が五月中旬から十月中旬まで放牧される。不妊雌牛三十頭に雄種牛が一頭の割合で自然交配(本交)をするのであるが、何と四分の三が妊娠に成功するという。わが国の少子化現象は目を被うばかりだが、産まない夫婦の中には、産めない夫婦も相当いると聞く。牛ばかりでなく、人間のためのリハビリ牧場も必要なのではないだろうか、とふと考えさせられた。
 この近くには鶏頂開拓地がある。戦後、外地から引き揚げた人たちが入植し、高原野菜やイチゴ苗を育てている。入植当時の赤貧の暮らしぶりが、いまでも語り草になっている。戦争被害者は外ばかりでなく、内にも存在するのだ。
 日本は狭いようで広い。北海道から九州・沖縄、無数の離島まで、未知の日本が身近なところに存在する。当欄でも書いたが、グルメとショッピングに明け暮れる海外旅行をする前に、もっと日本を見直す旅をするべきである。読書といい旅が人間をつくることは、多言を要しない。
 ある統計によれば、日本の学生は先進国で最も読書をしなくなり、自発的に学習する時間も少なくなっているという。

僻地のルーツ

  鶏頂高原牧場から戻って、再び国道四〇〇号に入り、一二一号、三五二号を経由して、当日の宿泊地南会津郡館岩村にクルマを走らせた。山の北裏には数十aの雪が残っていた。日没前に民宿福本屋に到着。栃木と福島、群馬の県境に接する館岩村は、西根川に沿った寒村である。福本屋のある場所は、同村の木賊。木賊をとぐさ(砥草と同じ)と読める人は少ない。僻地の名残を響かせる地名だ。木賊の人口は約百五十人ほどだという。
 その夜、西根川の岩肌に湧く温泉に入り、福本屋の岩魚づくしの料理に舌鼓を打った。
 囲炉裏を囲み、岩魚づくしの串焼き、刺身、甘露煮、タタキの酢味噌和え、酒は岩魚の頭を開いて焼いたものを、鯉を型取った横長の徳利に入れて地酒を注ぎ、自在鉤にかける。自在鉤には各地の方言があり、当地では鉤様と言う。私の故郷信州では鉤筒と言っていた。鉤様に掛けられた徳利の中で、岩魚のカブト酒が熟成される。オーナーの芳賀盛一夫妻から木賊の民話や歴史を聞き、夜が更けるのも忘れ、カブト酒を酌み交わした。
 ここの岩風呂は子宝の湯ともいい、不妊症治療に効果があるという。温泉につかって、めでたく妊娠した女性は、お礼に岩風呂の近くにあるお地蔵さんに、手づくりの帽子か前掛けを着けに行くのである。僻地には民話や神話が似合う。民宿福本屋には、作家立松和平ほか、著名人が訪れている。都会の喧騒を忘れるには、このような家族だけでもてなしてくれる民宿は最高である。
 翌朝、福本屋一同に見送られ、平家の落人の末裔が住むという檜枝岐(ひのえまた)村に向かった。檜枝岐村は館岩村のひと山北側の檜枝岐川に沿って開けた村である。村内にある二つのスキー場では、大勢の人が春スキーを楽しんでいた。館岩村同様に、国道沿いに路傍の石仏や古い墓石が並んでいる。馬頭観音、六地蔵、檜枝岐歌舞伎の舞台など、日本人のルーツを語る民話の故里を示す史跡が多い。
 国道三五二号線を直進すると「七入」に至る。左側にミニ尾瀬沼≠ェある。この先樹海ラインを進めば、尾瀬沼に到達するが、何と四月末なのに残雪のため通行止め。
 仕方なく三五二を戻る。檜枝岐村村営林産所で、重量感のある俎板と、あけびのつるで編んだ花入れ、檜油の香りを購入。
 村営歴史民俗資料館に寄る。檜枝岐村には、現在に至るまで、星、平野、橘の三つの姓しかないことを知る。平野は平家の落人といわれる。源氏の追っ手を逃れ、この地に棲みついたようだ。その証拠に、この村には京なまりに似た言葉があり、家紋が平家と同じ揚羽蝶である。更に当地に渡来する以前の記録が何もないことなどである。星、橘の姓も由緒正しい由来があるのだが、ここでは省かせていただく。
 ついに終(つい)の栖(すみか)をこの地に得た、平野一族は悠久の子孫を継続することに成功したのだ。
 再び館岩村に戻って、前沢集落の曲家(まがりや)を観光する。飛騨高山白川郷を彷彿させる萱葺き屋根の十四軒が、約百年前の農林風景にタイムスリップさせる。前沢集落にはコンクリートでない曲がりくねった小川が流れる。水車小屋、藁打ち小屋があって、環境保護、美しい農村、アメニティなどの各賞を受賞している。
 ヒマラヤやアンデスの秘境もいいが、わが国には日本人のほとんどが、生涯一度も訪ねない地域が山ほどある。未知の日本は広い。
 すっかり館岩村と檜枝岐村の虜になってしまった私は、次回は紅葉の季節に、家族と一緒に訪ねてみたいと思っている。
 


イラスト:
かわかみゆういち
 
月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点