ハワイ島を知っていますか |
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| 初めてのハワイ 日光を見ずして、結構と言うなかれ≠ニいう諺がある。一方、ハワイに行かずして、リゾートライフを語るなかれ≠ニいう言葉があるそうな。 そのハワイを初めて訪れた。 ハワイと言えば、常夏の島、ヤシの木、パイナップル、フラダンスである。 何度も訪れた人ならば、州都ホノルル、海辺にホテルが林立するワイキキのあるオアフ島を想起するだろう。しかし、昨今では人工的な施設の多いオアフ島よりも、自然美溢れるマウイ島の原生林や渓谷に人気が移っているらしい。 私はそのどちらにも行かなかった。 ハワイ諸島最大のハワイ島を訪れたのだ。ハワイ諸島は、そのほとんどが海底火山によって、太平洋に浮上した島である。中でもハワイ島は、一番新しい火山島である。今でも、キラウェア火山の噴火口からは、赤い溶岩が噴き出している。 コナ空港の滑走路は、溶岩を潰してつくられた。すべての道路は、溶岩を掻き分けて舗装されているが、道路以外のスペースは溶岩だらけである。溶岩の色は、茶と漆黒の二種類しかない。茶色のものは一九世紀以前の噴火によるもの。漆黒色のものはそれ以後の噴火によるものだ。 コナ空港近辺は黒色の溶岩ばかりだ。道路端の溶岩に、たくさんの落書きがあった。 「とんでもないですね。マナーが悪いな」 事情を知らない筆者が文句を言うと、ガイドは微笑みながら、説明してくれた。 「黒い溶岩に白く見える文字は、ペンキではありません。海辺から拾ってきた貝殻とか珊瑚礁の破片です。強風が吹けば吹き飛んでしまいますから、自然を破壊していることにはならないんですよ」 百キロ前後で飛ばす車窓からは、文字まで読めないが、「アロハ!」やハートマークなどが目についた。 ハワイ島では、民家をはじめ、ホテル、レストランに庭園が多く見られる。ふと、「溶岩の上には土は存在しないのでは?」という疑問が頭をもたげた。そこで、聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥≠実行してみると、気宇壮大な話を聞くことができた。 庭園の土ばかりでなく、コーヒー園やパイナップル畑の畑土まで、アメリカ本土の西海岸から船で運んでくる。ハワイ島は若い火山島のため、オアフ島やマウイ島のように溶岩が腐食していないのだ。 そのため、ハワイ諸島で最も大きい島にも拘わらず、人口は十五万人ほどだ。ハワイ全人口の一割程度なのである。 ハワイ島には太平洋最高峰のマウナケア山(四二〇五メートル)、同二位のマウナロア山(四一七三メートル)がある。 マウナケアの山頂には、世界各国の天体観測所がある。日米英仏豪加などが競うように山頂に球体の観測所を設置している。日本だけが、何故か円柱の外観をしている。この中に、世界一の八・三メートルの口径を持つ望遠鏡「すばる」が鎮座している。 四二〇五メートルの山頂までは、クルマで登頂できる。溶岩の道をかき分けるように進む「すばる」への道は、谷村新司が唄う「昴」の歌詞の通りである。荒野に向かう道より、ほかに見えるものはない。 山頂でサンセットの反対側に浮かぶマウナケアのブロッケン現象を撮影することに成功した。ブロッケン現象とは、天空の冷水蒸気が障子紙の役割を果たし、日没寸前の太陽によって大自然の影絵を天空に投影する、不思議なイリュージョンだ。冷水蒸気が均一でなかったり、雲によって投影が遮られると、美しい八の字の形状にならない。年に数回しか見られない美しいブロッケン現象の写真を、当コーナーに掲載させていただく。 コーヒー園銀座 ハワイ島コナと言えば、いまや世界に冠たるコナコーヒーのメッカである。世界のコーヒー産地は、気象条件によって決定される。平均気温が通年二十度台で、清澄な空気と昼夜の温度差があり、程よい降雨に恵まれている地域だけがコーヒーの栽培適地なのだ。 ハワイ島は、ピタリとこの条件に当てはまる。コナ湾から上昇する水蒸気は、海から山麓に向かう風に乗り、移動する。午後になると山にかかる雲が雨となって山肌を潤す。海と陸のファラライ山との距離、高度が絶妙な自然のハーモニーを奏でる。山の麓には低木のグリーンベルトが広がっている。 これが、ハワイ島が誇るコナコーヒー園銀座である。ここには欧米資本のコーヒー園に分け入るように、わが日本のドトールコーヒー、UCCコーヒー、それにサンラワールドが投資するサンラ・コナコーヒー園がある。 北米広しと言えども、コーヒー園があるのは、五十州の中でハワイだけである。したがって、ホワイトハウスで常飲されているコーヒーは、当地から届けられているのだ。 日系人が多いハワイの歴史は、余り知られていない。アメリカの五十番目の州になった経緯よりも、リメンバー、パールハーバーの方がよく知られているのではないだろうか。 ハワイの先住民はポリネシア人(アジア系のモンゴリアン)である。欧米人が最初に到来したのは、かのジェームス・C・クックである。クック船長は、カメハメハ大王が全島を支配する一七九五年の前年に、先住民と抗争を起こして殺された。 その後、一九世紀に入り、英仏がハワイ支配を企むが失敗。満を持してアメリカが太平洋時代の戦略基地としてハワイを狙い、まずパールハーバーの独占利用権を王朝政府から手に入れたのが、一八八七年である。同九四年には米国人によるハワイ共和国を設立した。ハワイ王朝最後の女王は逮捕されてしまう。この時リリウオカラニ女王がつくった歌が「アロハ・オエ」だ。ヤシの木とエメラルドグリーンの海をバックに唄う陽光眩しい歌ではない。ハワイ王朝崩壊を悲しみ嘆く、女王自らが郷愁と慈悲を唄ったものである。 一八九八年にはアメリカに併合。一九五九年にアメリカ五十番目の州となったのである。 「アロハ・オエ」の女王の悲嘆は、王朝崩壊百周年に当たる一九九三年一月十七日にハワイ人の魂を揺さぶった。 ハワイ州選出のアカカ、イノウエ両上院議員による「謝罪決議案」が再上程されたのはご存知だろうか?ブッシュ(シニア)大統領は拒否していたが、クリントン新大統領(当時)は署名を約束したため、上下院を通過した。そして、同年十一月に正式発効した。これにより、米国はハワイ併合に策謀があったことを認め、一部私有地を財産継承者に返還したのだ。この運動を支援していたのが、本誌主幹の増田俊男氏である。 アロハシャツにパームツリー、ウクレレのハワイアンミュージック、底抜けに明るい太陽の島にも、悲しい歴史のひとコマが存在するのである。 |
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月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点 |
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