東京の変貌を喜ばない幼友達 |
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| 東京で同期会 私は開戦の年に生まれた。 先日、昭和十六年四月二日から同十七年四月一日生まれが、東京で同期会を開いた。 信州伊那谷にある寒村の小学校に入学したのが昭和二十三年の四月。したがって卒業は二十九年である。 二十八年の秋、小学校六年の修学旅行で東京、江ノ島を訪れた。 今は懐かしいD‐51に乗って、新宿に着いた。中央線の途中でD‐51は三回、逆方向にバックしたのを覚えている。坂の途中で一旦止まり、おもむろにバックを始める。二度目に止まったところが駅舎だった。 これをスイッチバック方式といった。伊那から七時間半もかかる長旅だった。 新宿に着くと小田原電気鉄道(小田急とはまだ呼ばれていなかった)に乗り換え、江ノ島に向かった。片瀬江ノ島から徒歩で橋を渡った。 朝、伊那を発って、江ノ島に着いたのは夕刻。山国信州から出て来た子供たちは、初めて見る太平洋の海に歓声を上げた。橋を渡るとき、音楽の女教師が「真白き富士の嶺」を唄ったことも記憶に残っている。 江ノ島の旅館に着くと、すぐに夕食が始まった。サザエのつぼ焼きを、生まれて初めて食べた。この味が忘れられず、大人になった今でも海の近くに行くと必ず食べる。しかし、あの思い出の味≠ノは叶わない。 翌朝、藤沢から東京駅に来て、すぐに「はとバス」に乗り、東京周遊ツアーをした。 この修学旅行の「はとバス」ツアーを、今回の同期会で再現しようということになった。当時泊まった江ノ島の旅館に宿泊する予定だったが、運悪く二、三年前に廃業になってしまったので、幹事は銀座のホテルを取った。 前夜、ホテルの宴会場で立食パーティーを開いた。今回のツアーには、生徒のほか、存命中の先生五人の中から三人が出席してくれた。 その中の一人、小三から小六まで四年間お世話になったK先生は、当時新米だった。二十二歳で赴任してきたが、無免許(教職過程なし)の先生で、スパルタの鬼≠セった。いたずらをしたり、宿題を忘れると、他の先生は「立ちん坊」を罰として与えたが、K先生は男女を問わず、往復ビンタを張った。 「足を開け、奥歯を噛め」 号令一下、二往復四発のビンタが発せられた。 K先生はまだ七十五歳と若く、元気だった。同級生は先生を囲み、殴られた話ばかりした。先生は「悪かったな」とはひと言も言わなかった。 「おゝ、お前もやられたか。痛かったか。おゝ、そうか。ワシ以外に殴られたことが今日までないのか。貴重なビンタだったんだな」 殴られた連中の中には根に持つ者もいたが、私はK先生が好きだった。だから、宴会後の六本木のロックコンサートも、その後銀座に戻ってのカラオケも、K先生を一人占めした。 「河野はよたっこ(腕白)だったなあ」 「ええ、まあ。よくビンタもらいました」 「その後、頑張ったなあ。この間『メダカはどこへ』の本を送ってくれたが、ワシのこと書いてあったなあ」 「ご迷惑でしたか?」 「全然。よく書けていたぞ」 翌日、K先生は前立腺肥大で入院してしまった。 ビル街に興味なし 私たちは少年期を信州の山河で過ごした。自然以外は何もなかった時代である。山で栗を拾い、小川でドジョッコ、フナッコを獲った。クルマといえば荷車のことだった。四輪馬車などは、後のキャデラックを見る思いだった。寒村には農協のオンボロトラックと、医者のダットサンの二台しかなかった。 五十年目の「はとバス」は、銀座、新橋、汐留再開発ビル群、六本木ヒルズ、青山墓地を通って進んで行く。 再開発された汐留のビル街で、バスガイドが「こちらが東京の新名所、汐留でございます。皆さま、降りて歩かれてみませんか?」と声を掛けたが、誰一人としてビル街に興味を示さなかった。 更に、東宮御所の見える青山通りから、新首相官邸、警視庁を通って、皇居に入った。さすがに「はとバス」は指定許可車両になっており、二重橋のたもとまで入って止まった。 五十年前と同じ場所で記念写真を撮影した。皇居前レストハウスで昼食を取り、午後は本郷通りから上野を通って、浅草寺にお参りした。 バスの中では席を移動して、幼友達と思い出話を交わした。 「マコさん、こんな東京にいつまでもいないで、信州に帰ってきなよ。もう東京には飽きたズラ」 別の友達は、私をからかうように言った。 「マコさは菜園をやっているらしいが、何坪あるんだ」 「七十坪だよ」 「そんな猫の額みたいなとこをいじってないで、信州でうまい空気を吸いながら、思い切り広いところでやんなよ。オラぁが一反歩(三百坪)貸してやるで......」 東京の大学に出て来て、働き盛りを東京で過ごしていたころ、私は正直言って田舎を見下していた。 五十年後、田舎で生涯を終えようとしている友たちは、皆イキイキしている。故郷を誇りに思い、田舎で仕事を得て、自信に満ち満ちている。 三年前に還暦を迎えた同期生たちの、約半分が既に年金生活に入っている。都会に住むリタイリーたちは、次の目標がなかなか見つけられない。 一方、田舎でリタイアした人たちは、ふんだんにある大地で野菜をつくったり、山に入って山菜取りをしたり、更に余っている時間を、自然環境に目を向けている。 目を向けているだけでなく、行動に移している者もいる。村には多くの小川がある。この小川もご多分に漏れず、コンクリート漬けにされてしまった。昔は豪雨が降っても、水害に晒されるような川ではなかった。田んぼが冠水するぐらいだった。天竜川の支流三峯川に水門が出来て、取水口のバルブを閉めてしまえば、冠水も起こらなくなった。 いま、彼らは小川の一部を、コンクリートを剥がして、土の川に戻している。まだ一部であるが、二年前に土の川に戻したエリアには、ドジョウ、トンボ、ホタル、ゲンゴロウなどが戻り、自然の力に驚き、歓声を上げている。 田舎に住む同期生たちが、新開発地区やビル群に興味を示さなかった気持ちが理解できた。 自然と暮らすことに安らぎを感じているのだから......。 |
イラスト: かわかみゆういち |
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月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点 |
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