地下鉄大江戸線見聞録(オブザベーション) |
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総合高校 地下鉄大江戸線に乗って、月島に行った。月島から朝潮橋を渡ったところに、東京都立晴海総合高校がある。同校PTA総会後、父兄に講演をするために呼ばれたのである。 「どうなる!二十一世紀社会」と題して、大風呂敷を広げるような講演を行った。中でも、教育の原点は家庭にあり、しつけられていない子供は、公教育を受ける資格がない。両親は子供をしつける義務がある。義務教育は読み、書き、算盤が基本だが、横一線教育を止めて、創造性、自立心、主体性を引き出すようにすべし、高等教育は個性尊重、好きな教科が伸びるよう指導すべきである――≠ネどと長口舌をふるったら、何故かクスクス笑う父兄がいた。 教育の崩壊が叫ばれて久しいが、高等学校に総合選択課程が設置される法律が整備されたのは、平成六年である。これは従来の高校が、普通科、商業科、工業科などに分かれていたものを、普通教育と専門教育を総合的に施し、自己の特性や個性を活かした進路指導を可能にするものである。この結果、高卒で社会人になるのも、大学に進学するのも、目標と進路のギャップを小さくし、社会変革に主体的に対応できる人間育成を目指すことが出来るようになった。 この高等教育総合課程の選択によって設立された第一号が、都立晴海総合高校なのである。同校の教育目標には、自己の特性、個性、主体性、創造性、自立心、思考力、表現力が頻繁に出てくる。 残念ながら、画一的な教育しか受けられなかった筆者は、旧世代の教育の打破を訴え、「この学校は、既にそんなことは実行されていますよ」と、父兄にクスクス笑われてしまったのである。 東京都では、来春には第二号として、羽田総合高校がオープンする。既に初代校長には、民間出身者が登用されることが決まっている。 晴海総合高校の坂本元五郎校長先生は、生徒たちからゲンゴロウ先生と呼ばれているばかりか、自らゲンゴロウを標榜し、名刺にはゲンゴロウの虫のイラストが印刷されている。 毎朝、ゲンゴロウ校長先生は、七時過ぎに校舎の玄関に立ち、生徒を迎える。 「おはよう、元気か」 一人一人に声をかける。 「子供たちは、皆かわいい。自分の子供と一緒です。すくすく育ってもらいたい」 昔、田んぼの稲の中をスイスイ泳ぎ回っていたゲンゴロウは、いまでは田んぼにいなくなったが、隅田川を泳ぎ、朝潮運河に辿り着き、晴海総合高校の敷地に上ったようだ。 ゲンゴロウ校長先生は、将来の日本を背負う若者たちの中を泳ぎ回って、とても嬉しそうだ。教育の荒廃を叫ぶよりも、一人一人が使命をきっちり果たせば、米百俵の精神は蘇るはずである。 ゲンゴロウ校長先生は、筆者が校門を去っても、いつまでも立って見送ってくれた。照れくさい筆者は「もう、いいです」と、振り向きざまに言ったが、今度は手を振ってくれた。 もんじゃ焼き 講演が終わった夕べ、PTAの役員と月島西仲通りに行って、もんじゃ焼きを食べた。この通りは、通称もんじゃ街と言われるだけあって、もんじゃ焼きの店が約六十店、軒を連ねている。 筆者は、月島を訪ねるまで、もんじゃ焼きを食べたことも、何たるかも知らなかった。 もんじゃ焼きは知らなくても、なんじゃもんじゃの木は知っていた。逗子市に住んでいたころ、近くの神武寺境内に、なんじゃもんじゃの大樹があった。なんじゃもんじゃの木は、特定の木の種類をいうのではなく、見たこともない不思議な大樹の総称だそうな。 もんじゃ焼きとなんじゃもんじゃは、何の関連も無い。 もんじゃ焼き発祥の地は、月島、浅草、お花茶屋の隅田川沿岸の下町に、同時多発的に発生したのだという。 日を改めて、私は月島もんじゃ振興会の村田耕作会長を訪ねた。村田会長自身、もんじゃ焼きの「好美家」の店主である。 もんじゃ焼きのルーツと、命名のいわれを尋ねると、次のように説明してくれた。 「明治三十五年に日英同盟が行なわれたころ、ソースが日本に入ってきたのです。そのころ、隅田川沿岸の下町界隈の駄菓子やさんが、店の裏で、子供のおやつとして出していました。鉄板で、焼いたキャベツや桜エビ、切りイカを焼き、小麦粉を薄くといて、それにソースを注いだ汁をかけて焼いたのが、もんじゃ焼きの始まりです。もんじゃ焼きの命名の由来は、鉄板の上で小麦粉の汁を使って文字遊びをしたことによるそうです。文字屋(もんじゃ)が、もんじゃになったという説が有力です」 もんじゃには、欠かせない具がある。揚げ玉、キャベツ、切りイカ、桜エビである。これを素もんじゃという。粉は小麦粉、薄力粉などを調合した上に、家伝のダシ汁でとくのである。 最近は婦人層、OLなどの客が多くなり、魚貝類の海鮮もんじゃに人気があるという。 メニューも豊富で、五十種類以上ある。 明治の末に駄菓子やから生まれたもんじゃ焼きは、戦後になって廃れてしまい、昭和二十年代末には、月島には二軒だけになってしまった。三十年代になって四軒になったものの、それ以後伸びなかった。それが平成二年のNHK連続ドラマ「ひらり」で、石田ひかり演ずるひらりが、もんじゃ焼きを食べるシーンが何度も放映されて、月島に不死鳥のようにもんじゃ焼きの店が復活してきた。 更に、平成元年に有楽町線が、同十二年には大江戸線が月島に乗り入れ、下町風情たっぷりの月島ともんじゃ焼きがぴったりとマッチして、平成五年の三十軒が、現在二倍になって六十軒を超えるまでになったのである。 いまでは、都内はおろか、北海道から九州の人たちも、月島のもんじゃ焼きを食べに来るのだ。外国人も食べに来る。 村田会長は、胸を張って夢を語る。 「もんじゃ焼きは、日本の伝統的な食文化を表現している上に、とてもヘルシー。いずれマックの向こうを張って、日本発のもんじゃ焼きを海外に普及させたいと思っています」 グローバル時代は、外国文化を受け入れるだけではダメなのだ。日本発の文化をどんどん輸出していくべきである。 |
イラスト: かわかみゆういち |
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月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点 |
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