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諫早湾干拓事業の真贋
   
     傲慢な人間

 長崎県諫早湾干拓事業を推進する農水省は、八月末に、規模を約二分の一にして推進すると発表した。
 同事業は、計画段階から賛否両論が飛び交い、長崎県の地方事業としての是非を超え、日本全国及び国際議論にまで発展した。
 ノリ不作の原因が、潮受け堤防の閉め切り後、明らかになったことから、国営事業再評価委員会が設けられ、検討が重ねられてきた。委員会の答申は、環境に配慮し事業の見直しを求めるものだった。
 一方、ノリ不作を怒った地元漁協は、長崎県及び農水省に事業の中止を求め、再三再四陳情を繰り返してきた。このため、再評価委員会に代わって、ノリ不作原因究明の第三者委員会をつくり、二年がかりで検討しているが、まだその答申は出ていない。
 政府も行政も、金を使うことに対しては熱心であるが、ムダと分かっていても、それを止めるのには、何故か不熱心である。
 防波堤をつくり、災害から地域住民を守ることには、誰もが反対するまい。例え、地域の一部生態系を破壊しても、人命を尊重することは、為政者としては、現代の価値観に沿ったものだと思う。
 しかし、防波堤の内側を大規模干拓して、新たな農地や産業地にすることに関しては、現代の農業、産業環境を考慮した場合、まったく意味を持たない。日本の農業は、安い農産物を海外から輸入して、休耕地が増えている。農地は余っていて、荒地化を防ぐ対策に追われているのが現状である。各県の農政部(課)では、中山間地の休耕地の再利用のために、NGOなどに働きかけ、都市住民に安く賃貸したり、棚田の一枚ごとに借り主を探して、維持管理費を捻出しているほどだ。
 自然な農地や中山間地(いわゆる里山)は、国土の保全、災害防止、水資源の確保、生態系の維持などの面で、必要不可欠なものであるが、新たな干拓地における農地の確保の必要性は、ほとんどない。
 ないからこそ、防災(高潮)を全面に出して、干拓を後方に引かせているのではないか。ノリ不作以前に、閉切り堤防の内側でムツゴロウが口を開けながら絶命していく模様を知らされても、為政者は傲慢な態度で言った。
「生物への配慮も必要だが、人命の保護はそれに優る」
 これは明らかに、人間は万物の霊長であるから、人間こそ地球上で最も価値ある生物であり、保護しなければならないという思想である。この思想によって、二十世紀は人間同士が争い、地球上の陣取り合戦をしてきた。化学薬品を使った戦争から、資源の争奪に至るまで、人間どもの争いで犠牲になった生物は、既に何千種にも及んでいる。
 既得権としての人命の尊重は認めねばならない。しかし、万物の霊長が生き延びる糧を必要以上に得るために人間以外の生態系を破壊をしてもよいという理論は、もう成り立たないのだ。
 そればかりではない。いま、酸性雨、干ばつと豪雨の異常気象、地表の河川の断流化、地下水の枯渇、温暖化による両極氷原の融解、メダカやドジョウの絶滅の危機など、身近なところで、自然が悲鳴を上げている。
 そういう意味で、人命よりも自然(地球)が優先される価値も、ゼロではないのである。
「そんなバカな」
 と怒れる人間に言いたい。人間は自分の意志で移動できるが、生物の中には移動できない種が多いのである。しかし、その傲慢な人間も地球以外には移動できまい。

  人間の限界

  干拓にしろ、ダムや道路にしろ、自然の中に巨大な人工物を構築するのは、必要最低限にすべきである。ところが、人間は不必要最大限に建造してきた。先進国とは、近代建造物の多寡によって判定されるところがある。
 社会科の教科書の変遷を見れば、一目瞭然だ。工業化のシンボルとして、昭和三十年代までは川崎や四日市の煙が林立する工業地帯の写真が載っていた。当時の先進国では、霧のロンドンとビッグ・ベン、ニューヨークの摩天楼、いまは途上国に陥ったリオデジャネイロの海浜都市のビル群など、物欲の象徴を進歩・発展のシンボルとしてきたのである。
 長野県の田中康夫知事は、「脱ダム宣言」をして、物議を醸した。「長野県が子々孫々に残す財産は、美しい自然である」とした田中知事の発言に対し、旧建設省から出向していた土木部長は、「知事と考えが違う」として、本省に舞い戻ってしまった。
 筆者は、水害防止による人命尊重より、自然を優先せよとは言わない。ただ、過剰のダム建設は不要だと言っているのである。
 研ぎ澄まされた資本主義のアメリカでさえ、全米で約五百ヶ所のダムを取り壊す決定をしている。中には「Come back,サーモン」の市民運動により、上流の先住民であるインディアンの食糧の確保と鮭皮による民芸品復活のために壊すダムも含まれている。
 わが国には、まだ全国に計画中のダムが五百ヶ所ある。このままでは、アメリカとはプラスマイナス千個の開きが出てしまう。水利だ、防災だと言っているが、この期に及んで赤字国債づけの公共投資予算のブン取り合戦の臭いがフンプンとしている。
 この数年、「シンプルライフ」を奨める書籍が売れている。個人生活では、お先に大量消費生活に訣別しようとしている姿勢が窺える。
 際限なき物欲に生涯を費やす愚かな生き方が、地球を痛めつけている。ほとんどの人間が、この愚かさに気がついているが、一旦麻薬を吸った人間は、身体がボロボロになっても、止めることが出来ない。
 ホモサピエンスの英知は、いまのところ物欲の中での競争に生かされるエネルギーの方が勝っている。
 諫早湾干拓事業は、推進派と中止派の双方の面子を立て、規模を二分の一にして続行されそうだ。高潮から諌早市民を守る方法は、ほんとうに干拓以外にないのだろうか?
 国名が低い大地を意味するネザーランドは、日本ではオランダという名前で呼ばれている。オランダの水利、高潮、干拓技術は、世界一だと言われている。
 そのオランダが、一九二七年に北海に堤防を築き、ゾイデル海をアイセル湖化して、半世紀以上かけてポルダー(干拓地)を造成してきた。アイセル湖内には、未干拓地として湿地帯を残し、干拓地から追われた生物を保護してきた。
 オランダ政府は、この湿地帯をポルダーにするのを、市民たちの反対運動によって断念した。そればかりか、二〇〇五年から河口堰の水門を徐々に開き、内海の生態系を、七十数年ぶりに外海のそれに戻すと発表した。この勇気ある決定と諫早湾干拓問題を、政府も市民もホモサピエンスの一員として、考えてみるべきである。
 


イラスト:
かわかみゆういち
 
月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点