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四十年ぶりの田植えが教えた真実
   
     メダカはどこへ
 今年、四十年ぶりの田植えをした。
 昭和三十六年に大学進学のため上京して以来、田植えとは縁が切れてしまっていた。家庭の事情で高卒での大学受験を諦めざるを得なかった私は、十八歳で一年間、兼業農家に従事することになった。この一年は、六十有余年の中でも大変貴重な体験だったと思う。
 当時、信州の伊那谷では、専業の大農家を除き、耕運機は普及していなかった。
 苗代づくりから、田植え、田の草取り、稲刈りなどを、すべてを手作業で行ったのだ。私の村では土地改良という名の耕地整理が、この年から始まった。
 これは変形田んぼや、曲がりくねった小川を潰して、碁盤の目のように整地するものだった。実際、三十年代後半にかけて始まった機械化農業のためには、絶好の土地改良となった。
 しかし、メダカやドジョウ、ホタルにトンボなどは、この耕地整理のおかげで大被害を被った。現在、全国的に見ても、メダカやハゼ類が絶滅の危機に瀕している。環境庁発表の新版レッドリストでは、メダカは三番目に危ない「絶滅危惧U類」に指定されているほどだ。
 拙著『メダカはどこへ』が発売されると、嬉しいことに、「メダカはまだいる」「メダカが帰ってきた」という知らせが、私のところへ飛び込んできた。
 その中の一つで、中村陽子さんが理事長を務めるボランティア団体・NPO『メダカのがっこう』のお話を聞くことができた。
 中村さんらは、メダカがいなくなった都会近郊に、メダカを呼び戻す運動を展開している。メダカが消えてしまうのには、二つの理由があるそうだ。
 一つは、田んぼに大量投与された化学肥料や農薬。もう一つは、小川を潰して、コンクリートの水路やパイプラインにしてしまったため、メダカが逃げ場を断たれてしまったからだという。
 近代農法は、農業従事者の負荷を軽減するため、機械化と農薬中心に転換してきた。農業従事者だけが近代化の恩恵を受けなくてもよいとは、筆者とて言えない。かといって、メダカやドジョウらの棲める大地がなくなっていいとも言えない。
 人類は自らを万物の霊長とうそぶき、効率一辺倒の科学技術を追いかけ続けてきた。しかしこれらの技術が地球の隅々まで伝播すると、結果的にその報いが人類に及ぶことは、大方の人間が知っている。
 だが、メダカやドジョウだけが姿を消しても、人間には大きな被害は及ばないと、タカをくくっている人たちが意外に多い。
 食物連鎖という現象の中で、人類も生き延びていることを説明しよう。
 メダカは、サヤミドロという藻類の一種が繁殖する水辺に棲む、川魚の中で最も小さい魚である。サヤミドロが繁茂する水辺には、ミジンコなど、微生物が必要不可欠条件である。このような土壌は、少々の化学肥料はあってもいいが、殺虫、殺菌、除草剤を撒布されると、微生物はひとたまりもなく殺されてしまう。
 メダカやドジョウの棲める水辺には、鮒や鯉をはじめ、カエル、トンボ、ホタルなども共生している。メダカは鮒や鯉などのエサになる。カエルはヘビやトンビに食べられる。そのほか、水辺の小動物は、ツル、カモ、トキ、サギなどのエサにもなる。
 サヤミドロのある水辺は、農薬がないため、キンギョ草や種々の水草が、水を浄化して酸素たっぷりの水を地下にしみ込ませる。これが地下水脈のミネラルウォーターの水源になる。その水を汲み上げて人間が飲めば、最高の天然水となる。
 一方、メダカの棲めない水辺の環境は、小動物が棲めないばかりか、人間が飲む水も危ない。つまり、たかがメダカ一匹といえども、メダカがいるかいないかは、その地域のあらゆる動植物と人間の環境に影響を与えているのだ。

   NPOの時代

 私が田植えに行った場所は、千葉県佐原市の水郷地帯に近い田んぼである。
 この田んぼは、民間の農業指導員岩澤信夫さんが考案した不耕起栽培による稲作が行なわれている。不耕起の田んぼには、前年の稲株が残ったままである。稲苗も人間同様に、恵まれた環境ではなく、堅い土に植えることによって、太くて強い根を土中に張る。土中深く張った稲は、天候不良にも耐える。藁は茅のようにバリバリしていて、強い茎と葉になる。
 強い稲は、害虫も病気も寄せ付けない。その結果、化学肥料を少々与えるが、農薬は一切使用しないで済む。問題の収穫量もほとんど変わらない。この田んぼには、メダカ、水スマシ、ドジョウ、ゲンゴロウ、タニシなどが繁殖するため、真夏になると土中深くまで酸素が入る。これが稲の成長を大いに促す。
 その日私たちは、田植えをする田んぼの畔近くに素足で入った。不耕起用の稲苗は、昔と同じで丈が長く、手で持つ感覚は、信州で田植えをしていた頃と同じだった。
 左手に苗を持ち、右手で二、三本づつ分けて田んぼの中に入り、毛筆を持つ要領で、次々と土中に差し込むように植えていく。
 当日、首都圏から集まった児童たちは、両親か祖父母のいずれかに連れられて、総勢百人を越していた。
「お上手ですね」
 隣の列を植える中年の女性に言われた。
「四十年ぶりの田植えですが、指先は覚えているもんですね」
「昔取った杵柄ですか」
「いや、三つ子の魂百までもですかね」
 あっという間に、所定のスペースを植えてしまった。
 ほとんどが小学生と思われる児童たちも、嬉々として田んぼに入り、田植えをしたり、カエルやドジョウを素手で捕まえていた。大人はカエルを素手で触れないのに、児童たちはおかまいなしだ。
 田植えが終ると、使い古したバスタブで越冬させておいたメダカを、各々グラスに分けてもらい、田植えの終った田んぼに放流した。放流するはずのメダカや、捕まえたドジョウやカエルを持って帰りたいという児童がいた。
 大人たちが、グズる子供たちにこう諭す。
「カエルもドジョウも、持ち帰って飼っても、鉢の中の水道水では、すぐに死んでしまうのよ。田んぼの中が一番快適なのよ」
 この説明に納得した子供たちは、缶やグラスの中のカエルやドジョウに別れを告げていた。
「元気で暮らせよ。来年また来るから、その時に会おうな」
 農水省の狂牛病発生過程を取り上げるまでもなく、既成概念に囚われる官僚主義の時代は終った。これからはNPOが時代を切り拓く。
 
 
月刊「力の意志」(サンラ出版) シリーズ 視点・論点